どこまで制御するか。
例えば、
「それはおもしろい発想やけど、とりあえずいまは置いとこうか」
みたいなものです。
子どもたちと学ぶ際にこの度合いや範囲はすごく悩みの種になってきます。
塾講師をしていたときは、知識の出し入れをいかに高速化するかを優先していたので、
制御の度合いは高かったかもしれません。
ただ、今は探究や自由研究など経験的な学びを支援するときには、
なかなかそういうわけにはいきません。
今回、”足跡の正体を探る”で子どもたちとしたことを振り返ると、
ここは制御しなくてよかったな、という場面がありました。
例えばこんなもの。
山に生息する動物をとにかく挙げてみる、という場面。
小学校1年生の男の子は、「トラ」を挙げました。
そのお子さんは単にトラが好きだ、ということもありましたが、
頑としてトラを譲る気はないようでした。
「だって、いると思うんやもん」
そうなんです、これを言われると、
「いいひんで」
と言い切ることはなかなか難しいのです。
いないことの証明は悪魔の証明と言われてますし…。
こうなるともう、日本の山にはトラもすんでいる”かもしれない”という前提で進めます。
結果的にも、その子は誰もが納得する形でトラの選択肢を消しましたし、
日本に野生でトラはいないようだ、というところまでいっているので、問題もありません。
今回子どもたちとかかわる中で、逆に学ぶことができたのは、
「だってそう思うんやもん」は一旦受け入れても、
あまりにありえないことは子どもたち自らその選択肢を消してくれるということでした。
こちらも支援をしていて毎回おもしろい発見ばかりです!
また次のテーマも楽しく深めていきたいと思います!
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