知的生産の技術

今年、生誕100年を迎えた梅棹忠夫さん。

元々動物生態学の出身だそうですが、その後民族の方にシフトされたイメージが強いです。

(そして、実は友だちのおじいさま)

国立民族学博物館の初代館長さんも務められましたが、

そんな梅棹さんが「考えるってなにすりゃいいんだ?」って問いに答えてくれるような本でした。

Fコース、Hコースともに有用な発想が書いてあったのでちょっと新しいこと始めて見ようかなあと思います。

「知的生産の技術」とは

「学校はある意味で教えすぎていて、ある意味で全く教えてくれない」的な文章からはじまりました。

どういうことかと言うと、

「知識」や「問題を解く方法」は教えてくれるけれども、

「知的なものを生産する技術」は教えてくれない、ということ。

 

「タイトルまんまやんけ」と、まだまださっぱりですが、

「知的なもの」というのは、考え事全般のことのようです。

それは研究であったり、学習であったり、日常生活の考え事だったりするわけですが、

そういうものを生産する(=知識として成立させる)ための技術(=どうするか)については、

全く教えてくれないのが近頃の学校だと言っています。

(近頃と言ってもこの本の初版が1960年代なので、「あー学校ってあまり変わってないんだな」というのがいろんな意味でショッキングでしたが、まあそれは置いといて。)

研究者になったときにも、「そういやそんなこと教えられてないな」と思ったらしいです。

とにかく何でもかんでも記録に残す

本文中にもありましたが、

かの有名なレオナルドダヴィンチは思いついたことをそっこら中に記録として残していたそうです。

で、若かりし(高校生くらいの)梅棹さんは友だちと「天才ってこうやってたんや!」ってテンション上がって、

メモを取ることにしました。

本当になんでもかんでも。とにかく残した。

 

しかし、梅棹さんは思いました。

「これって研究とかの資料にはならないよな」

と。

で、ここから、

「どういう風に活用するか」

「どうすれば自己満足ではなく使える記録にするか」

「メモを資料にするにはどうすればいいか」

を考えてかたちにしていきましたよー、というのが本の内容。

まさに、

知的なものを生産するための技術を記したわけです。

 

これはほんとにおすすめなので読んでみてください。

国立民族学博物館にいってきちゃいました

本読んで、「これすげーっ!」とテンション上がったので、

たまたま国立民族学博物館でやっていた「知的生産のフロンティア」にも行ってきました。

「知的生産の技術」を読んでいたので、

さらっと見た感じでは内容的にとてもかぶっていました。

が、梅棹さんの生メモを見れたのはむちゃくちゃよかった。

メモを「忘却の装置」って言ってたのもかっこいい、、、

oranjeの図書棚にもありますし、

こんなにいい本が1000円足らずで買えるのでぜひおすすめです。

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なんか、まわしもんみたいになってる、、、笑